アイディアは熱いうちに打て

1988年生まれ。福岡出身のメガネが書く雑多ブログ

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そろそろブラック企業に勤めて難病を発症した頃の話をしようと思う

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こんにちは。

ブロガーのイマムラアユム(@ImamuraAyumu)です。

今話題になってますね、電通のニュース。

 

 


若い女性が自殺までおい込まれるなんて…

むごいですね…。

そんな私も実は昔働き過ぎて、難病を発症した身です。

昔の私に起きたノンフィクションストーリーを公開することにしました。


ちょーっとストーリー長めなので

飛ばし飛ばし読んでいただくか

コーヒー片手に本を読むような感覚で

読み進めてもらえば幸いです。


時間はさかのぼり、9年前になります。

現在28歳の私が19歳の頃からのお話。


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高校卒業後、運輸会社に就職

2007年に高校を卒業してそのまま運輸会社へ就職しました。

会社の事務員としてOL生活を送っていましたが

就職が決まった時点で私は決意していたことがありました。

それは

「3年で会社を辞める。

その3年以内に本当に自分がやりたいことを探して

その職業に転職する」
こと。


自動車関連の運輸会社で採用が決定されたのですが

当時自動車にほんっとに興味がなくて…(笑)

小さい頃から乗り物酔いをしてて

今でもするタチなので

自動車自体が好きではなかったんですよ。

(今も好きじゃないです)


じゃあなんでそんな業界の面接受けたんだって話になるんですが

今だからぶっちゃけますけど

その会社が一番受かりやすそうだったんですよね。

とにかく就職して働きたかった私にとって

「保険」的な存在で面接を受けていた会社だったんですよ。

それで結局その「保険」が適用されて

その会社に入社することになります。


なので採用決定された当時は

本当にその業界に興味持ってなかったので

「社会人としてのスキルを身につける為の場所」

ぐらいに思って働こうと決めていました。

...今思うとなかなか生意気な発想してるよね…。

新入社員なクセに上から目線(笑)


本屋で出会った一冊の本が人生を変える

OL生活2年目に突入したところで

転機の巡り合わせがやってきました。

仕事終わりに毎夜寄っていた本屋で

自分の感情を激しく揺さぶられた本に巡りあったのです。

それは某飲食店を経営していた当時の社長が書いた本でした。

その本を読んで感動した私は

「この社長が立ちあげた会社で働きたい。

私が挑戦したい職業はこれだ!!」


と一念発起し、

OL生活に2年8か月で終止符を打ち

アルバイトとしてその飲食店に転職しました。


社員でもパートでも仕事の責任は一緒 

高校卒業して一つの会社で働いてみて不満に思ったことは

正社員じゃなくても社員並みの仕事量と責任を持ってはたらいている

パートの人達がいるのに

入りたてのひよっこの私の方が

給料を多くもらっているという理不尽な現状
でした。


「正社員だから給料を多くもらってる」

この現状を私は受け入れられなかったんです。

だからこそ、転職した際には最初から正社員じゃなくて

アルバイトで入ろうと決めていました。

自分の実力で正社員まで上り詰めたかったんです。

だからアルバイトとしての入社を希望しました。

それにその飲食店も、当時は「まずはアルバイトから、のちに正社員になる」

という制度をとっていたので

自分の希望ともマッチしていたんですよね。


「正社員」という安定を捨ててまで

私は「自分のやりたいことを仕事にする」人生を選んだのです。


運輸会社に退職願を出すまでに

相当の勇気と時間と覚悟が必要でしたよ。

未来の安定をかなぐり捨ててまで

人生かけて本気で挑む挑戦でしたから。


2009年12月に退職し、2010年1月に無事転職することができました。

当時21歳でした。

アルバイトとして入社後1年半で副店長に

アルバイトとして入社して1年半後。

2011年の8月(当時22歳)に

その飲食店を経営しているフランチャイズの会社の

社長と会長との面談を得て、晴れて契約社員として雇用され

1店舗の「副店長」として新たな仕事人生を送ることになりました。


副店長とはいうものの、私が当時いた店舗の店長さんは

他の店舗の店長もやっており

いわゆる掛け持ち状態で店長をやっていたんですよ。

(正社員不足で店長が足りていなかったのです)

なので契約社員としての期間(6ヶ月間)満了後、

私が正式に正社員となって

その店舗の店長に就任する手筈になっていました。


しかし、私はこの頃から自分の直感が

危険信号を発していたことに気付いていた
のです。


「今はまだ昇格するべき時じゃないのではないか」

「次々に病んでは消えてく社員たちを見ただろう?

それでも自分は社員になるのか?」


そんな不安はずっと頭につきまとっていましたね。


それでも、それでも私は私の夢をかなえたかった。

店長になってスタッフも来店するお客様も笑顔で過ごせる

そんなお店にしたいと願っていた自分の夢を。

私は自分の直感の危険信号を無視して

自分の理想をかなえる欲望の道を歩み始めた
のです。

徐々に崩れ始める自分の牙城

契約社員となって2ヶ月過ぎたころから

私が一人立ちして店長になれるように

厳しく指導が入るようになってきました。


休みの日でも会社やお店から

電話やメールがくる回数が増えはじめたり

会社の統括部長から厳しい叱咤の言葉を受けるようになってきました。


メールでの私からの仕事の質問やアイディアにも

「あなたではお話になりません」の一言で部長に一蹴される始末。

もうね…言葉にはできない虚しさと悔しさで

感情が溢れかえってましたね。

 



自分自身もまだ入社して1年10ヶ月程度。

その浅い勤務歴ではまだまだ店長としての知識も経験も

十分に積めているはずがありませんでした。


しかし会社としては管理職の人員が不足しており

急ぎで店舗を統括できる人材を補給せねばならなかった。

余裕を持ってゆっくりその次の人材を育てれるような

時間も人員も会社にはなかったのです。


そして徐々に私が管理している店舗の

ミスやクレームが増えはじめました。


よくわからないままにこなす管理者としての事務仕事。

会長と社長、他店舗の店長との毎週の売り上げ週間報告会議も

めっちゃくちゃプレッシャーで

もう緊張しすぎてヘマしないように

徹夜で資料作成する日が何度もありました。


店舗運営でわからないことがあっても、

店長は掛け持ちなのでほとんど自店にはおらず

なかなか聞きづらい状況。


くわえてメインでシフトに入っていたスタッフと私の相性が非常に悪く

「私より年上で勤務歴も長いのに、なぜこんなに仕事ができないの!?」

などと毎日腹を立てて怒っており

スタッフと協力してお店を運営できる状況でもなかったのです。


なのでアルバイトでもできるような作業も私がやり

プラスで管理職として新たにやらなければいけない仕事も私がやり

完璧なオーバーワークの迷宮へと

自らどんどん突入していった
んですよね。


徐々に崩れ始める、自分の牙城。


「このままじゃ病気になる」と感じ始めた12月

契約社員として登用されたのが2011年8月。

オーバーワーク迷宮へと突入し出したのが同年10月。

そして体の不調を感じ始めたのが同年12月頃からでした。


12月頃にはもう休みを全くとっておらず

毎日毎日働いていましたね。

良いお店を作りたいという自分の理想をかなえるためと

人員不足とオーバーワークで出勤しなければならないためと

そして私が休みにしている日を狙って店舗に来訪する部長から

自分の牙城をまもるため。

様々な理由が相重なって本当に毎日、出勤していました。


当時のスタッフたちには本当に迷惑をかけてたと思います。

もう自分の仕事がいっぱいいっぱいになってて

休憩もほとんど取らず朝から晩まで

ぶっ続けでお店を運営してた日もありました。


そんな日々が続いていたので

私はストレスが常にたまっている状態。

暴飲暴食、睡眠不足の日々が連続で続いていました。


しまいにはとうとう一生懸命働いて

私の役に立とうとしてたスタッフにまで

奴当たりのように厳しい言葉を

浴びせてしまったこともありました。


相性が合わないメインスタッフに限っては

これまでのイラ立ちがピークに達してしまい

シフトの途中で帰らせてしまう事件も。


「やる気ないなら帰って。他店から別のスタッフ呼ぶから」

って言って

ええもう、マジで帰らせました。

今の私からしたら常軌を逸した行動ですね…

そうとう気がおかしくなってたんでしょうね、当時の自分。


しかもそのあと泣きながら他店の店長さんに電話して

ヘルプスタッフにお店まで来てもらいました…。

文字通りマジで泣いて電話したんですよ。

「助けてください…助けてください」って。



そら泣いて「助けて」って

電話してこられたら

誰も「ごめん助けられない」

なんて言えへんがな!




このポーカーフェイスとよく他人に言われる私が

そこまで感情をあらわにするほど

追い詰められていたのが12月です。


この頃から動悸・頭痛・胃腸の不良・めまいが頻繁に起こり始めていて


「このままじゃ病気になる。

自分の体力も実力も限界だ。

もう、会社辞めるしかない」



と、やっと決断に至ることができました。


でも多分…この頃にはもう…

時すでに遅し、だったのではないかなと推測しています。

病魔は私の体の中で暴走し始めていたのでしょう。


戦友との約束を果たすためだけに最初にいた店舗に帰る

年が明けて2012年1月。

契約社員としての期間満了の月です。

終了とともに私は正社員になり

店舗の店長へと昇格する手筈だったのですが

その前に自ら「退職」を希望しました。


本当はそのまま1月いっぱいで会社を去ろうと思っていたのですが

とある約束を思い出したのです。

私が一番最初にアルバイトの面接をして

合計で約半年ほどだけ滞在した店舗にいた子との約束です。


その子は私より半年ほど勤務歴が長いのですが

当時大学生だったのであまりシフトに入っておらず、

フリーターとしてガッツリシフトに入っていた私と

仕事の成長速度が重なっていき

ともに仕事スキルを伸ばしあい出し

成長しあった仲でした。

私からしたら戦友のような気持ちをその子に持っていました。


後に私の店舗異動が決定して、そこで店長になるための

ステップアップをすることになったのを告げた後に

その子が手紙をくれたのです。


「また一緒に働きたいので、必ず帰ってきてください」と。


私はメールでだったか

手紙でだったか定かではないですが

こう返しました。

「店長としてか、アルバイトとしてかは分からないけど、また必ず帰るよ」




……


戦友との約束を守らないで

辞めることなんてできん!!



あの子は当時まだ研修生だった私を信頼して

一緒に働いてくれた大事な仲間。


当時の店長に「お前はなんの取り柄もない」って怒られてたときも

「アユムさんはそんなことないですよ。

あんな言葉気にする必要ないです」
って

店長の言葉に怒りながら私を慰めてくれた仲間だった。


いつも私をフォローして支えてくれた子だった。

その仲間との約束だけは必ず果たす!!


私がくだした決断はアルバイトとして1か月だけ

その子のいる店舗へ帰り、そのままその店舗で退職する道でした。


完全に灰となり燃え尽きて退職する

一番最初にいた店舗に無事帰還し働き始めたのですが

その時にはもう精神的にかなり病んでたと思います。

何をしても楽しい気持ちにならず

あんなに情熱を注いでいた仕事も

適当にこなすようになっていました。


なによりも

「ただ休みたい」

その気持ちが強かったですね。

もしかしたらここで本当に丸一ケ月くらい休養していたら

病気も表面まで発症せずに収まってたかな…?

と振り返ったこともありました。


完全なる燃え尽き症候群。

軽いうつ病を発症していたのでしょう。


2年前に入社した当時の私とは正反対の

情熱も自信も目標も全て失った状態で

戦友との約束を果たし終えた私は

2月いっぱいで退職しました。


本気で挑戦し本気で挫折した丸2年間。

自分の限界と実力を痛いほど思い知り

大きな壁にぶつかって歩みを止めてしまった。

2012年2月。


顔に蝶形紅斑現る

 


会社を辞めた後も私はただひたすら休みたい、ゆっくりしたいと思っていました。

しかし働かなければ食っていけない。

自転車屋さんでアルバイトしながら

ずうううっと自分を責め続けました。

正直2012年は私からすれば黒歴史です。

しかもあんまりこの年の記憶がないんですよね…。

しんどすぎて脳が記憶から消してしまってるのかも。


2012年4月に膠原病(こうげんびょう)の

初期症状である蝶形紅斑が発症。

顔にニキビでもふきでものでもない

変な赤いぽっちができたのです。

そう、体の表面に症状が出始めたのはこれが初めてでした。


自分を守れるのは自分だけ

いかがでしたでしょうか。

私が難病である膠原病を発症するまでのストーリーは。

ちなみに膠原病についてはこちらのカテゴリに色々記事書いてます↓

膠原病カテゴリ一覧


このストーリーで私が伝えたいのは


・自分の直感は大切にすること

・自分を守れるのは自分だけだということ



この2点です。

たとえどんなに自分の理想の実現の為に

体を酷使したいと思っても

理想をかなえるためには長生きできる

健康な体でなければいけません。


目先の欲求にとらわれ、他人の言動に惑わされないでください。

仕事で自分の健康や命を無くす必要なんて一切ないんですよ。


これは働きすぎて健康を失った私だからこそ断言できるんです。


「仕事がデキない自分には生きる価値なんてない」

私はよくこのような極端な価値観に陥りがちになります。

そういう考えに陥りそうになったら、

病気が発症して苦しんでいた時のことを思い出すようにしています。


関節やリンパが痛み

紅斑で顔が真っ赤になり

高熱が出て苦しんでいても

自分の体はそれでも生きようと必死にもがいているんだ。

心臓は働くことを止めないし、胃腸も栄養を消化吸収して

この体を生かそうと頑張ってる。


全身が脈を打っている。


私の体が「生きたい」ともがいているならば

その体を生かすために私は生きよう。

仕事なんかデキなくてもいい。


それなりに働ければ、動ければ、この日を生きれたなら

それだけで今日は頑張ったなと

体と自分を褒めてやってもいいんだ。





・イマムラアユム詳細プロフィールはこちら

 

 

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